論文 ·日本語 ·未確認
"A HIDDEN CONFLICT BETWEEN WESTERN AND TRADITIONAL CONCEPTS OF NATURE IN SCIENCE EDUCATION IN JAPAN"
Ken Kawasaki ・ Keiko SHINOHARA
- 刊行年
- 1989-01-01
- 収録
- 『Bulletin of Society of Japan Science Teaching』 29(3) pp. 23-30
- 言語
- 英語
- openalex
- W4381162497
- doi
- 10.11639/formersjst.29.3_23
- issn
- 0389-9039
- URL
- https://www.jstage.jst.go.jp/article/formersjst/29/3/29_23/_pdf
要旨
自然とは何かと問うことは、それとかかわりあう人とは何かと問うことである。それ故その解答は、その人の属する固有文化に強く拘束され、このような拘束の下に、自然の概念は規定されているはずである。近代自然科学の理念は、キリスト教信仰と深くかかわって打ち立てられたものであるから、西欧文化圏における自然(nature)と人間とのかかわりは、日本固有の伝統に基づく自然と人間とのかかわりとは、自ずから異なるであろう。このような観点から、二つの言葉自然・natureの間に存在する相違を分析・考察し、言葉自然は究極の道徳的規範としての存在と客観的対象という、時として相矛盾する概念を担っていることを明らかにした。この二つの言葉は、異なる言語体系に属する以上、それぞれの言語体系において果たす機能は当然のことながら異なる。しかしこの機能の相違は、我国の理科教育の実践において意識的に明らかにされているわけではなく、自然の概念は一貫して自明のものとして扱われてきた。現在でも、理科の指導書の中に自然を規定する項はない。しかし言葉自然は、西欧語natureの翻訳語でもあるという側面をもつことに注目するならば、理科教育において概念規定不要とは必ずしもいえないのである。自然とnatureがそれぞれの言語体系において果たす機能の相違を無視してしまったことにより、我国の理科教育によって培われる自然と人間とのかかわりに、混乱が生じている。この混乱に無頓着なまま、理科教育において自然をnatureの代理として使用することは、自然科学に対する誤解を助長するとともに、日本の伝統的自然観までも分からなくさせる原因となる。科学技術大国として国際的影響力が増大した今、自らの伝統的自然観が不明のままでは、国際社会に創造的な貢献が期待できないばかりでなく、無用の混乱を招いてしまうのである。
主題
この書誌の出所
- openalex— W4381162497(2026-08-12取得)
引用キー: KawasakiSHINOHARA1989HIDDENCONFLICTBETWEEN